マリー・クワント(Mary Quant, 1934年2月11日~)

英国ファッション史及びスウィンギング・ロンドンについて語る時、マリー・クワントの話は欠かせません。

何といっても、スウィンギング・ロンドンで最も成功したデザイナーであると同時に、当時の若者が一斉に支持するファッションを次々に提案した張本人でもあるのです。

ロンドンで生まれ育ったマリーは、当然の如く、スウィンギング・ロンドンの文化とは切っても切り離せない環境にいました。

ゴールドスミス・カレッジに進学し、そこではアートの学位を習得、その後、帽子屋の見習いとして働き始めました。

そんな彼女が、初めて自分の店「BAZAAR」をオープンしたのは1955年。
なんと、彼女がまだ21歳の若さの時です。

しかも地価が高くて有名な、チェルシー地区に店を構えました。

なぜこのようなことができたかというと、カレッジで知り合った夫、アレクサンダーがお金持ちの息子で、出店の際に彼が支援してくれたからです。

もっとも、そこは決してブティック「マリー・クワント」ではなく、若者向けファッションが置いてあるお店、というだけのものでした。

この時点で、マリーはまだ、デザイナーにはなっていなかったのです。

また自分がデザイナーになることを考えていたわけでもなく、単に「今までにはない、若者が集まるようなファッションのお店を持ちたい」という願望を持っていただけでした。

マリーの店は大成功を収め、BAZAARは若者たちのたまり場になりました。

マリー・クワント -2-

マリーは、お洒落な衣類や小物を仕入れて店を繁盛させますが、やがてデザインも手掛けるようになります。

彼女が初めてデザインしたのは、パジャマでした。

そのパジャマが雑誌で紹介されることになり、デザイナーとしてのキャリアは好調なスタートを切ることになりました。

1955年にオープンした「BAZAAR」はその2年後には2号店もオープンし、1960年代に入ると、マリーは自らのアイデアとデザインを武器に、更なる飛躍を遂げます。

その象徴的なものが、「ミニ・スカート」の存在です。

ちょうど同時期に、フランスではクレージュがミニ丈のスカートを世に送り出していましたが、マリーがミニスカートを発表したのが60年代初頭で、クレージュが発表したのはその後、1965年のことです。

「ミニ・スカート」という呼び名は、マリーが好きな車種「ミニ」からつけられました。

マリーはそのほかにも、ホット・パンツを流行させたことでも有名です。

女性の新しいスタイルを提案する一方で、ヴィヴィッドな色遣いの洋服、柄タイツなども、彼女のアイデアにより生まれていきました。

それまでの世の中には、若者の専門店というものがなく、マリーこそが、初めて若者向けのファッションを総合的にリードした人物、と言えるでしょう。

1970年代になると、彼女の活動はホームグッズや化粧品などの展開にシフトしていき、そこでも大成功を収めていきます。

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