マノロ・ブラニク(Manolo Blahnik, 1942年11月28日~)
「マノロ・ブラニクの靴を履くと、ほかの靴を履けなくなる。」
誰もが口を揃えてそう言うくらい、ブラニクの靴は女性を魅了します。
ピンヒールなのに抜群の安定感、ミニマルデザインでありながら美しいカラーと素材で洗練されたフォルム、そして、女性の足をより美しく見せる構造など、女性が求めるもの全てを網羅した究極の靴が、マノロ・ブラニクの靴なのです。
彼は、カナリア諸島で生まれ育ちました。
バナナ農園のやんちゃな坊やであった彼を両親はスイスの大学に留学させ、その時にパリを旅行し、パリに魅了されます。
学業を途中放棄してパリに渡り、その後ロンドンに落ち着きました。
元々、舞台美術などに興味を持っていた彼に、靴作りを強く勧めたのは、米ヴォーグのダイアナ・ヴリーランドです。
ファッション界の権威を後ろ盾にした彼は、その後多くのアパレルデザイナーのコレクションに靴を提供しながら、70年代から10年かけて靴作りの修行もしました。
そもそも彼には靴作りのノウハウがなかったので、靴作りそのものの技術を習得する必要があったのです。
しかし、職人技を身につけてから、あとは独自にデザインや機能性を追求していきました。
その結果、どのデザイナーのコレクションでも彼の靴は引っ張りだこになり、また全ての女性セレブに愛される靴作りを成功させたのです。
ブラニクは、現在でもセレブが最も支持するシューズデザイナーです。