ヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood, 1941年4月8日~)

ヴィヴィアン・ウエストウッドといえば、まず「パンクの女王」ということが頭に浮かぶでしょう。

実際に彼女は、そのキャリアのスタートでは、それまでの誰もが思いつかなかった奇抜で激しいパンクスタイルで、若者の間でカリスマ的人気を誇りました。

ヴィヴィアンは、後のパートナーで、共にパンク・スタイルを確立するマルコム・マクラーレンと出会うまでは、教師をしていました。

しかし、マルコムによってユースカルチャーの世界に導かれ、そこに強く惹かれるようになります。

そして、彼と共にブティック経営に乗り出したのです。

マルコムとキングス・ロード430番地にブティックを構えて以来、常にそこを創作活動の場所として、実に多くのことを手がけてきました。

マルコムがアイデアを出し、ヴィヴィアンがそれを形にするという役割分担で、彼らの理想を形にしていきました。

二人で始めたキングス・ロードのお店は、はじめは「Let it Rock」という名前でしたが、後に幾度も店名を変更し、店のイメージを変えていきます。

店名「Sex」の時代には、当時店に頻繁に出入りしていた不良少年二人をプロデュースしてデビューさせ、後に「セックス・ピストルズ」としてパンクロックのカリスマグループになりました。

70年代から80年代初頭まで、ヴィヴィアンとマルコムのコンビはイギリスのファッションのみならず、若者文化を牽引し、一時代を築きます。

ヴィヴィアン・ウエストウッド -2-

1981年、ヴィヴィアンはマルコムと共に、初めてコレクションを発表しました。

テーマは「パイレーツ」。

しかし、この頃から、彼女とマルコムの間に、方向性の違いが見え始めます。

常に社会に挑戦し、反抗期の若者を先導するマルコムと、新しいものを始めてみたいというヴィヴィアンとの間で、埋められない溝ができ始めたのです。

彼らは、1983年に関係を終わらせ、それ以後、二人はそれぞれの道を追求し始めます。

ヴィヴィアンが80年代後半に打ち出したのは、もっと上品なスタイルでした。

彼女は1988年~1991年を「The Pagan Years」と名付け、彼女の主流であったパンクスタイルとは真逆の、上流階級を気取った少女のスタイルを提案しました。

そして、90年代にはオートクチュールに関心を持ち、オートクチュールスタイルのコレクションを発表します。

2000年代に入っても、彼女の探求は続いています。

彼女の場合は、自分のアイデアを形にするその手法に、常に変化をつけることで、自分らしさを出しているのだと思われます。

ですから、全く異なるスタイルでも、根底ではきちんとヴィヴィアンのスタイルということで繋がっているのです。

それは、マルコムのやり方とは、確かに異なったやり方と言えるでしょう。

しかし、彼女は彼女自身の力で、現在の成功を勝ち取り、今尚、時代の最先端を行くデザイナーとして活躍しています。

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